生きていても何とかならない一つに、
人間関係があるかもしれません?
確かに「雨降って地固まる」と言うことわざがあり、
誰かととらぶった場合に人間関係に亀裂が生じ、
亀裂が生じたことで更に絆が深まるようなことはありますが、
逆にその亀裂が元に戻ることはない ということもあります。
生きていれば時が解決してくれるという事もありますが、
生きていても何ともならないこともあるのです。
人間関係は複雑怪奇になることもあるかもしれないのです。
相手のことを思うあまりにあえて近寄らない とか、
そんな場合もあるかもしれません。
しかし、生きていくには人間関係を断ち切ることはできません。
生きていても何とかならない一つに、
人間関係があるかもしれないという事を、
理解していなければならないかもしれません。
それがあなたご自身の言動等によって引き起こされるかもしれない、
ということも残念ながらあり得るかもしれません。
今でも覚えていますが、
「自分の中には自分の知らない自分がある」 という言葉を、
小学校高学年の時の担任の先生から教えられたことがあります。
その意味は当然ながらその当時は分かりませんでしたが、
中学校の時に「自分の中には自分の知らない自分がある」とは、
自分の知らない自分というのは周囲の人が見ているかもしれない、
感じるかもしれない という事に気付きました。
それは、爺やが当時中学校の頃に言った一言が、
友達の目を一瞬曇らせてしまったことがあり、
ハッ!! と思ったことがあったのです。
爺やは当時のその時の一瞬の出来事をまだ覚えていますが、
自分の知らない自分を見られた感じがしました。
全くそんなつもりなど無かった何気なく発した言葉によって、
自分の中の居る自分の知らない自分を友達に感じ取られたのですね。
その時の友達の一瞬曇らせた目を当時の爺やも感じ取ることが出来たから、
幸いにしてその後も友達として居ることが出来ました。
しかし、自分の知らない自分を感じ取ることが出来なかったなら、
当時の中学生だった爺やはその友達から距離を置かれていたかもしれません。
生きていても何とかなるものではない一つの人間関係として、
爺やの苦い記憶として残った可能性もあったかもしれません。
人間とは難しい生き物かもしれませんが、
しかし、助けられることも多く、
爺やなんかは助けられることばかりで生きてくることが出来ました。
生きていても何とかならないのは人間関係かもしれませんが、
それでも爺やは人間関係に感謝です。
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